明治3年(1870年)、ひとりの川魚業者が仕出し屋を創業しました。彼の名前は田中鶴三郎。主に鮒を扱っていたことから「鮒屋の鶴さん」と親しまれ、この愛称より「鮒鶴」という屋号が付けられました。大正11年(1922年)、現在地である木屋町松原に移転。宮大工・上田喜三郎、山本米蔵らによって、一世一代の大建築が始まります。当時、周囲の料亭はほとんどが平屋でしたが、新しい鮒鶴は五層四階建ての巨大な木造建築。構想から3年もの年月をかけて、大正14年(1925年)、それまでの常識をくつがえすような大料亭が完成したのです。
これまでの料亭が、美しい庭を眺めながら食事を楽しむ場所であったのに対し、鮒鶴は、すぐそばを流れる鴨川と、その向こうに連なる東山三十六峰を愛でながら食事をするという、桁違いのスケールを提案しました。また、一度に200名ものお客様をお招きできる大広間の存在も、従来の料亭の概念を打ち破るものでした。評判を聞きつけた旅行者が日本中から訪れるようになり、昭和9年(1934年)に5階建ての新館を、そののち2度の増築を重ね、ついには最大500名ものお客様を収容できる京都随一の料亭旅館となりました。
このように歴史ある大規模な建造物が今も鴨川沿いに現存していること、また、建造物そのものの歴史的・芸術的価値が評価され、平成24年(2012年)4月21日、鮒鶴は文化庁によって登録有形文化財(建造物)に登録されました。140年もの歴史をもつ鮒鶴は、今も京都の誇りとして人びとに愛され、お食事や宴会、結婚式に利用されています。